宝満山白雲院林昌寺(ほうまんざんはくうんいんりんしょうじ)は、中之条町と伊勢町の間を流れる胡桃沢(くるみざわ)川東岸の台地上にある曹洞宗の寺院で、群馬郡箕郷町富岡の長純寺の末寺となっています。
文安年間(1444年〜1449年)、天台宗の僧:長馨(ちょうけい)によって創建されたといわれています。
戦国時代、荒廃した寺を再興したのが、武田信玄の家臣で真田幸隆の弟:矢沢薩摩守頼綱(やざわさつまのかみよりつな)です。新しい住職を招いて、天台宗から曹洞宗の寺となりました。寺を再興した矢沢頼綱の法名は、「林昌寺殿来叟(そう)良泉大居士」で、位牌を本堂に安置しています。
中之条町の発展とともに、寺の位置も河原町から文禄2(1593)年に長岡に、寛永16(1639)年に現在地に移っています。この間、領主真田家の崇敬を受け、真田昌幸から六連銭の寺紋と改修資金を与えられ、以後信之、信吉、信政など沼田真田氏の保護のもとに寺勢を伸ばしました。
寺は、本堂・庫裏・山門・座禅堂(観音堂)・鐘楼が並び、境内西寄りにはしだれ桜の巨木があって美しい花をつけ、桜の名所となっています(しだれ桜は町天然記念物です)。
また、寺の宝物である「文永八年(1271)二月」銘の弥陀一尊画像板碑は、天蓋(てんがい)・瓔珞(ようらく)の下に阿弥陀如来立像を陰刻し、踏み割蓮華座(ふみわりれんげざ)の下に年号と花瓶(けびょう)一対をつけています(町の重要文化財です)。
この町指定記念物と文化財のほかにも寺の境内には、信州高遠の石工による宝篋印塔(ほうきょういんとう)、天明3(1783)年浅間山大噴火の被災者供養塔や、勝軍地蔵・弁財天・六地蔵などの石仏があります。
また、墓地には代官根岸家や、貞享元(1684)年に鐘楼を寄進した二宮家の墓、算学の本田半平墓碑などがあります。
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